『君たちはどう生きるか』を見てきました
宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を見てきました。
以下、ネタバレ、あります。
これは、幻想世界を描いたアニメです。
(異世界転生アニメではないので、念のため)
そして、このような幻想世界を描き出せるという点で、
宮崎駿、恐るべし。
この年齢にして、このような表現を作り出せるというだけでも驚きですが、
年齢など関係なく、これまでの宮崎駿の作品とは、
明らかに異なる表現、異なる世界を生み出している点で、
そして異なるテーマを問うている点で、
宮崎駿、恐るべしです。
もちろん、今までの宮崎駿作品やジブリ作品を彷彿させる表現もあります。
そして、その点は懐かしく、微笑ましい。
御館の賄いを務めるオババたちは、
『ハウルの動く城』の老女たちですし、
戦争のシーンは、
空襲された都市の上空を舞うハウルの姿を思い浮かべますし、
関東大震災によって町が波打つ『風立ちぬ』を思い浮かべます。
高い所から落ちそうになって、
必死にツタをつかむ姿は『天空の城ラピュタ』ですし、
風をつかまえて帆掛け船を自在に操り、
少年を救い出す女性漁師は、『風の谷のナウシカ』です。
田舎の和洋折衷のお屋敷に疎開してくる少年と、
その少年が見つける不思議な世界は、
『借り暮らしのアリエッティ』ですし、
背後に雲が沸き立つ丘の上に立つ人の構図は、『風立ちぬ』です。
あの世からこの世へと生まれ変わっていく丸っこい魂たちは、
『もののけ姫』の木霊でしょう。
そして、このように自分の作品のモチーフまでも、
自在に使いこなして、それを新たな表現にしてしまう点で、
宮崎駿は、過去の作品を愛しながらも、
それに囚われることのない自由な人なのだと思います。
そして、この作品は、
宮崎駿が若い頃に読み進めた児童文学の基本的な問いを、
彼なりに踏襲したものだと言えます。
児童文学の基本的な問い、それは、
なぜ大人にならなくてはいけないのか、
なぜ人間は生きていかなくてはならないのか…。
だから、『君たちはどう生きるか』なのだと思います。
優れた児童文学は、子どもにとって、
この世界は理不尽な世界であることを描き出します。
この作品で言えば、
少年の母は空襲で死に、父は再婚し、
新たな母の中には、自分の弟妹がすでに宿っています。
疎開のために引っ越してきたお屋敷には、
見知らぬ使用人たちが訳の分からぬ暮らしをしていて、
都会から疎開してきたモダンな子どもからすれば、
田舎の学校に自分の居場所などありません。
夜更けに見る夢は、炎に包まれて死んでいく母の姿。
目覚めれば、目尻には涙がにじんでいますし、
ギョロリと眼を剝くアオサギは、
スキを見計らっては自分に付き纏ってきます。
訳の分からないことばかり。
嫌なことばかり。
でも、そんな状況の中にあっても、
人間は生きていかなくてはいけない。
人間らしく生きていかなくてはいけない。
だから、少年は、不穏なアオサギを打ち払おうと、
弓矢を作り、不条理な出来事に抗おうとします。
新しい母とまだ生まれぬ弟妹を救おうとして、
見知らぬ塔へ、見知らぬ世界へと足を踏み入れます。
子どもにとっては、
あの世だろうと、この世だろうと、
何もかもが不条理なのです。
そのことを、大人たちは痛切に知るべきですし、
そんな不条理に抗おうともしなくなった自らの怠惰、
ふがいなさを恥じるべきなのです。
不条理であろうと何であろうと、
抗わなくてはいけないことがある。
守らなくてはいけないものがある。
それが、勇気というものです。
勇気を持って、この世界の不条理に抗え。
この作品が、「よくわからない」と思う人は多いでしょう。
それは、カフカのように、村上春樹のように、ベケットのように、
この作品が不条理な世界を描く作品だからですし、
それでも、その不条理な世界に抗おうとする少年の物語だからです。
ですから、この世界が不条理であることが理解できない人たち、
物語や人生は、起承転結があり、なにかしらの教訓や感動があり、
物語を締めくくる大団円やハッピーエンドがあるものと
決めてかかっている人たちには、この作品がよく分からないでしょう。
『君たちはどう生きるか』というタイトルから、
「人間はどのように生きるべきか」という答えを
安直に期待するような人たちも、
このような作品の、このような答えの返し方を、
理解することはできないように思われます。
ちなみに『千と千尋の神隠し』の最後において、
千尋は何も語りません。
あれだけ、たくさんのことを経験したのに、
その経験を言語化し、物語化して、語ることはないのです。
大切なことは、その人の一番深いところに宿っています。
それは、言葉を越えた経験として蓄積し、
理屈抜きの行為として現れるのです。
でも、そのことを理解できない人たちは、
「君たちはどう生きるか」という問いを、すぐに「教祖」に求めるのです。
いつまでも誰かからの分かりやすい言葉を求め、
「どう生きるのか」、その指示を仰ごうとします。
ですが、まずは動け。
自分の心が「そうしろ」という方に、まずもって動くこと。
動いて、その経験から、自らが置かれた状況を理解すること。
そして、不条理な状況の中にあっても、
大切にしなければならないことを少しづつ理解していくこと。
それを、自分の言葉として語っていくこと。
「お前が大事にしたいことをしっかりと見つめ、
それに対して、お前自身がまっすぐに生きろ!」
「君たちはどう生きるか」という問いは、
そのまま「私たちはどう生きるか」を問うているわけですし、
大人と言えるような人ならば、
この不条理な世界に対して、あなたはどのように生きてきたのか、
そして、これから先、どのように生きていこうと考えているのか、
それを問うています。
ですから、この問いは、答えを語る必要はないのです。
未完のままでいいのです。
そのことが理解できない人は、
自分で生きようとする、そのスタートラインにすら、
まだ立っていないのですから、
もう少し大人になるまで、放っておいた方がいいでしょう。
安寿
2023/09/02 15:13:48
>鳩羽さん
宮崎駿は、論文みたいな文章は書きませんが、
しかし、自分の言葉を結構本の形で残しています。
しかも、岩波書店のようなところから出版してたりします。
自分の記録として、一人の表現者の記録として残しているのだと思います。
ですが、今回の作品については、何も語らないように思うのです。
作品の意図や狙いを聞かれても、
「皆さんの見たこと、受け取ったことが、そのまま作品の意図ですよ」と
答えるのではないかと思います。
鳩羽
2023/08/30 16:24:09
確かに。
パンフレットですが、キャストの言葉が掲載されるくらいかな…と思っています。
宮崎駿監督は、思考開示しなさそうですよね。
どこかでひっそりと、このブログの様に意見を述べている一観客を
封切の後に、ちら、と想像して。それでいいのかもしれないです。
安寿
2023/08/30 10:24:49
>鳩羽さん
『君たちはどう生きるか』の映画パンフレットをまだ購入していないのですが、
でも、パンフレットを購入して、私の解釈が間違っていないか、
答え合わせをする必要もないでしょう。
宮崎駿は、おそらくこの映画について、
技術的なこと以外は何も語らないのではないかと思います。
大きな問いを提示したまま、消えていこうとしているのかもしれません。
鳩羽
2023/08/28 18:20:51
こんにちは。
やっとやっと、時間ができて見に行けました!
安寿さんのこの記事を心置きなく、読める!
確かに。宮崎駿監督が、自分の映画のモチーフを使ってまで
「この風景を知っているだろう?」と常に畳みかけて来ます。
途中に何度も、ピアノの単音が入るのですが、これはこの風景を
見たことがある?知ってる?という問いだと思いました。
恐らくですが、それぞれの映画で観客が感じ取りやすかったことを
下敷きにしてまで、理不尽に抗う少年を描いています。
>子どもにとっては、あの世だろうと、この世だろうと、
何もかもが不条理なのです。
>勇気を持って、この世界の不条理に抗え。
多分、これなのでしょうね。映画の主軸は。
不条理を突き付けられて、信用できない生き物を側にいて、
それでも抗って、守ろうとする。
大人になった自分が今、しているだろうか。
行動どころではなく、直視すらしていないのではないか。
…考えさせられました…多分に、恥ずかしいというか情けなかった。
共感を求めていない映画ですが、美しい風景も多く、個人的には
(見ている間の自分の内面の動きと孤独感含むで)面白かったです。
『この傷は、僕がつけました』が、一番心がズキズキしました。
>ですから、この問いは、答えを語る必要はないのです。
未完のままでいいのです。
私も、そう思います。
その答えはきっと各々違って抱えて行動するものだと思います。
この子供目線の絶望や理不尽に対する戦いを抱えたまま大人になって、
作品として作り上げたって相当な精神的な負荷と孤独が伴いそう…すごいな、監督。