「桜葬」2/2
墓参りを終え帰路につく。何人かに挨拶や報告を済ましたが、頭の中は先ほどの女性の残像でいっぱいで上の空は否めず、土の下の彼らには申し訳ないことをしたかもしれない。
あの時、僕がフェイスガードの内側で目をギョッとさせるだけだったのに対し、祈織は俊敏にあの人の元に駆け寄った。
「どうしたんですか?」
今思い返せば、大丈夫かと聞かなかったことに、祈織の思想の一端が零れ出た気がする。大丈夫じゃないと分かって本人は行動に移したのだと瞬時に読み取れたのは、きっと祈織も――――。
「救急車呼びますか?」
祈織が重ねて問う。女性は一言、「何もしないで大丈夫」とだけ答えゴロンと転がった足元の面体を残し去っていった。
なぜ、あんなことを。この世界にごろごろ転がっている悲哀に、絶望に、涙に思いを巡らす。ぐるぐると思考を続けるほど、同じ道のりを歩む自分がまるで違う人になってしまったようだった。行きはよいよい帰りは怖い。どこかで覚えたフレーズが静かに頭の内でリフレインする。
「さっきの人、すごかったね」
数歩先の祈織が、ひとりごちる。その「すごい」は称賛か呆れか。それは問うまでもなく。
「私、なんであんなことしたのか、少しだけ分かるよ。多分」
足を止めた後ろ姿が空を仰ぐ。目元のフィルターを通して広がるのは、まぶしいくらい白くきらめく桜。
「やっぱり私は間違ってない」
マスクを隔てても分かる凛とした声色に合わせ、両腕が迷いなく動く。そうして、流れるように現れた結われていない黒い髪は、強烈だった。
記憶より長い飾り気のない真っ直ぐな髪がまだ揺れているうちに今度は片手が背中の蝶を崩し、防護服が背面から二つに分かれ剥がれていく。真っ白なワンピースを着た祈織が姿を現す様は、さながら蝉の羽化のように神秘的に目に映った。
「奈音(なおと)は脱いでくれないの?」
なんの膜も隔てず直接発せられる玲瓏な響きに一瞬たじろぎ、直ぐにそれが裏切りに思え恥じた。同様の手順で僕を守る鎧を外す。
「そうそう、そんな顔だった」
随分な物言いだが、目を細めた祈織につられ僕も笑ってしまう。お互い色が白くなったようだが、それ以外に不健康な要素は見当たらなかった。
「なんか、久しぶりに会ったみたいだ」
僕のつたない感想に祈織が頷いてくれるのが嬉しい。
祈織が一歩踏み出し、何をするのか疑問を浮かべる暇もなく手が握られ驚いた。直接の接触は初めてだった。
「奈音の手、冷たい」
「祈織はあたたかい」
ぬくもりを知覚したら急に五感が機能を取り戻したのか、いっぺんに情報が色鮮やかな洪水となって己の中に流れこんできた。
空の青、日の光、風のにおい、土埃のざらつき、葉擦れの音、明確な人の輪郭。慣れ親しんだはずのすべてが遠く新しい。初めて知った体温がこんなにもやさしい。
桜の雨は止まない。この世を覆う悲しみのように平等に、しずしずといつまでもどこまでも降り注ぐ。
後は死に場所を探すだけの僕らにはもったいないほど美しい光景だった。