glycogen

祖母・祖父との思い出

今週のお題

父方の祖父とは会ったことがない。

私が生まれるずいぶん前に亡くなったそうだ。
祖母は新潟に一人で住んでいて、自給自足程度の畑を世話していた。
遊びに行くと山のような野菜料理をごちそうになったものだ。
毎日誰かが遊びに来ると、山のような浅漬け、古漬けを出すのがご当地流で、それをつまみにおしゃべりに花を咲かしていた。
冬になると東京に来ていたが、ある年脳溢血か何かを起こしてそのまま10年くらい病院で寝たきりだった。

チューブにつながれてほぼ意識がなく、本当にそれが祖母の生きたい生き方だったのだろうかと思っていたが、先日父の書き物を整理していて、それが祖母の望みだったと知れた。
祖母はずっとお金をためていて、自分が倒れたらその金でできる限りの治療をしてほしい、病院のベッドで何もせずに寝るだけの生活をしてから死にたい、とみんなに言っていたのだそうだ。
本当に働き詰めの祖母だった。

母方の祖父母の家は、実家から1時間くらい、途中で1回乗り換える。
月に1度は遊びに行っていたので、切符がいくらかもちゃんとわかっていたし、小学1年生になってすぐに一人で行くと宣言した。
絶対大丈夫だと言っているのに、後ろから父がつけてくるのを目ざとく見つけ、激怒しつつ家に行った。
夏休みごろには一人で遊びに行っていた記憶がある。
初孫だったからか、ずいぶんかわいがられた記憶がある。

こちらには途中から同じ沿線に引っ越したし、大学からも近かったのでよく掃除や買い物に行ったものだ。
一時期は同居もした。
だけど母が過労になって、3か月ほど老人施設に入ってもらったら、戻ってすぐにほかの叔母の家に行き、うちは「虐待だ」と訴えられた。
マジで骨肉の争いだった。
わけのわからないデマを知り合いにばらまかれたし、ばらまいたのは実の妹だから、母は本当に参っていた。
そしてその2番目の妹は母と3番目の妹に裁判を持ち掛け、裁判官にいい加減にしろと言われても辞めず、ごね勝ちして母と妹に財産放棄させると祖父母を遠方の病院に押し込め、祖父が死ぬまで出さなかった。

隣の県なのに、乗り継ぎの悪さのせいで片道5時間かかる道を、何度か通ったことがある。
争いは子供同士のことで、私は孫だからいいだろうと言って。
祖父はこっそり差し入れるまんじゅうを楽しんでくれた。
結婚して、どうしても行かないといけないような気がして最後に結婚写真を持っていき、見せた。
それからすぐに祖父は死んだ。

それからすぐに祖母は叔母に引き取られた。
息子を生んでから一度だけ孫を見せに行ったが、「お前は〇(母の名)のスパイに来たんだろう」と言われたので、それきりになった。
行くのを母に言ったことすらなかったのだが。

祖母が死んでからずいぶん経ってから、死んだということだけ知らされた。

#祖母・祖父との思い出

  • glycogen

    glycogen

    2023/09/24 22:26:11

    レガオさん
    コメントしずらい話に乗ってくださり、ありがとうございます。
    どこも何かしらあるものですね。
    骨折が元で、というの、今でも多いですし、自分がなったらと思うと怖いです。
    男性の100歳越えはすごいですね。
    その分同居の家族は大変だったことでしょう。
    私も独身の妹とそんなに仲がいいわけではないので、私の代になったらどうなるのだろうと思ったりします。

  • レガオ

    レガオ

    2023/09/24 21:36:53

    私も父方の祖父は自分が生まれる前に亡くなってました。
    祖母は元気で記憶にありますが、骨折が元で入院しそのまま亡くなりました。
    私が高2の冬でした。
    母方は祖父母とも長命で、いずれも100歳超えでした。
    一時期母の兄にあたる叔父の家に同居していましたが、
    その家の叔母(嫁ってことですね)との折り合いが悪く、
    遊びに行ったとき、
    叔母がすごい形相で祖母を見てるのを目撃してしまい「あぁそういう感じなんだ。」と。
    結局二人とも施設に入ってそこで亡くなりました。
    父方も母方も兄弟仲はそれほど悪くはなさそうですが、いずれも四人兄妹なんで、
    やはり人数が居るとたまにあいつはどうのって話は出てるみたいです。