運動会の思い出は?
私はたぶん、生まれた時から動くのが面倒だった。
親がハイハイさせようといろいろやったらしいが、私はただお座りして起き上がりこぼしをゴロンゴロン動かすだけだったらしい。
まったくハイハイしようとせず、ある時急につかまり立ちを始めたらしい。
だからか太り気味でも腕と足は細く、遠投が最低線に満たずに体力テストが測定不能になるような子だった。
もちろん運動会なんて消えてなくなれと思っていた。
どのくらい嫌いだったかというと、大嫌いな勉強のほうがまだましというレベルで大大大嫌いだった。
それでも努力だけは人一倍した。
ダンスは家で振り付けを必死に覚えればまだ何とかなるし、ムカデ競争とか長縄跳びなんかは休み時間ごとに練習して何とかクラスの足を引っ張らないようなレベルにはなった。
だけど、徒競走だけは、どんなに練習してもびりかびりから2番目にしかならなかった。
毎回みんなをただ追いかけるのが嫌で仕方なくて、雨ごいを何度したかわからない。
小学校の4年からは長距離走をするのがその学校の習いで、校庭を10周くらいしないといけない。
周回遅れになった子をわざわざ先生が「1周遅れだぞ、がんばれ!」と激励するのが他人でも嫌で、ああ、4年になったら私もあんな風にさらし者にされえるのか、と憂鬱だった。
もちろん先生はただ激励の気持ちでおっしゃっていたのだろうが。
3年の冬に引っ越しすることになった時、転校はさみしかったが、あの運動会から逃れられることだけはうれしかったのを覚えている。
そこまで大嫌いだった運動会だが、子供を応援する側になってから結構好きになった。
いや、高校は女子高でいわゆる進学校だったため、運動神経が私並みの人もそれなりにいたし(それに父兄の見学禁止だったため)リラックスして楽しめたな。
私は科学部だったので、部活対抗リレーではビーカーに色水を入れてこぼさないようにしながら走った。
先生方を仮装させていく競争なんかもあって、校長先生がドラえもんになったりした。
もちろんものすごく速く走る人もいたが、ただすごいな、と尊敬するばかりだったし、すでに勉強が落第ぎりぎりだったので走るのが遅いくらい屁でもなかった。
多分、あのころから人は人、私は私の苦手なところを人並みにしようとあがくより得意なことを伸ばしていけばいいんだとわかってきたのではないのかな。