登山の功績
今日は久しぶりに日曜日にバイトを入れず、登山に行った。
ヤビツ峠から三の塔を目指し、体調がよかったら塔ノ岳まで行く。
そんなコース。
平日はヤビツ峠行のバスは8時25分発9時23分着しかないので(その次はなんと14時50分発までない)どうしても出発が遅れてしまうが、休日ダイヤは7時台のバスもあるのでありがたい。
よほどのことがない限り、塔ノ岳まで行けるだろう。
いつものことだが、登りはきつい。
特にコロナで軽い肺炎になってから、肺の下のほうが膨らんでいないような気がする。
すぐに息が切れて、ハアハアと口呼吸をしないと登って行かれなくなってしまう。
何でこんなことしながら登山なんてするのかな、といつも思うが、答えはわかりきっている。
ネパールに行った時、息子に大差をつけられたのが悔しいのだ。
次に行くチャンスがあるかはわからないが、万一あった時にあんな無様をしたくない。
その一心。
それにしても、この肺の下のほうは動かなくなってしまったのだろうか。
でも体に欠損があっても、ほかのところで補おうとするのが体のはず。
とにかく大きく呼吸をするようにして、と深呼吸を繰り返しながら登っていたら、体の中の横隔膜に近いところが急に開いた感じがした。
みぞおちのちょっと上のあたりがむず痒い感じ。
三の塔の前の二の塔のところで休憩しながらおなかに手を当ててみる。
むず痒く感じるところが、呼吸とともにゆっくり動いている。
でも神経のないはずのところでむず痒いっていうのは、本当は痛みがあるっていうことなんだろうか。
例えば、気胸とか。
それはブラックジャックの読みすぎか。
単に気のせいの可能性も高いのだが、もし肺が広がった感じがするのなら儲けと思っておけばいい。
これでもう肺の心配はないのだ、と自己暗示ができれば、本当にそうなるのが人体というもの。
今日は休憩で何度も会った人と意気投合し、塔ノ岳の後、鍋割山まで行ってしまった。
本日の歩数、39682歩なり。