母親の愚痴聞き役だった私。
小さいころから、ずっとず~~と小さい頃から、母親が姑の愚痴を子供の私に延々と私に愚痴ってたので、愚痴っていうのは当たり前に言うもんだと思っていた。嫁と姑が同居したら、絶対どっちも愚痴を言うもんだと思っていた。そしてそういうのを聞くのが普通だと思っていた私。
小さいころから、延々とそうした愚痴を聞いて育ったから、私に結婚は幸せになるもとかそういう夢が、まったくない。結婚っていうのは、仕事だと思っている。夢どころか、結婚したら地獄なんだと思ってた。実際、嫁と姑の仲がいいほうが異常で、普通は仲がワルいものと相場が決まっている。
家の評判を下げる姑
大体に愚痴を言う量が多いのは、若い嫁のほう。姑さんというのはどこの家も百戦錬磨ですから。愚痴も上手に言う。私は小さいころから母と祖母のどっちの愚痴も聞いて育ったのでそういうもんだと思っていた。どっちが悪いとかではなく、そういうものだと。
ただ、そういうものではあるが、愚痴というものをよそ様に話すとかなり悪い事態の始まり。なので、姑さんというのはとても上手に仲間内だけで家の愚痴を楽しむ。それ位の愉しみがあってもいいんじゃないでしょうか。若さという財産が無くなってしまった人の特権として。ただ、それが楽しみでしょうがない。嫁をイビるのが楽しくてしょうがない、という事になってそれが生きる目的みたいな鬼みたいになってる人も、たまにいるようで。
先日、私って本当に年寄りの話し相手に選ばれるというか。全くまだ若いと思うんですけど。
男女いる会話のなかで、自分のヨメのえげつない評判を下げてる姑さんに出会った。気持ちはわかる、というか、そういうものではあるが、それは女性同士でするもので、男の人がいる時に愚痴を言い出すと、それは愚痴ではなく、悪評を吹聴する鬼という言い方になってしまうのが、愚痴のルールなのだった。
家の評判を下げて回って歩いていいのは、嫁を扶養している夫だけであって、姑さんがそれを言うと、家庭の評判を下げ、自分の家名に泥を塗って、自分で自分は最低の血筋ですと言ってるようなもの。女同士であれば、それも許されるのですが、男の人に愚痴るというのは、自分の恥部を見せてるくらい恥ずかしいと思う。当たり前ですが、だから当然、女の人は愚痴を井戸端会議でしか言わないし、男の人だって「よそで愚痴はやってきなさい」と聞きたくないそぶりをするものでしょう。
漢に愚痴ると、「あの家は本当に悪い嫁がいるのか」と信じちゃうので。そんな嫁と暮らす男のほうもみくびられるし。やっぱり、嫁姑の愚痴というのは、男の人にやったらアウトですね。女同士ならセーフだけど、男にもそれ言うと、かなり認知症を疑われるというか。やっぱり、愚痴の品格というものがあると思いますよ。男って女の人より愚痴を愚痴だと思ってませんから。
という事もあるので、やっぱりどこの家も愚痴を言うのは私たちの世代で、賢い姑は、ぐっとこらえて、愚痴吐きどきを、心得ているものである。そのこらえる自制心が無くなったら、それはもう病気と言われてしまいかねない。そう考えると、人生、年をとればとるほど難しい振る舞いを求められ、高齢者のおかれる心苦しさ、悲しさ、キツさとか考えると、まだその半分しか生きてない私たち働き盛り世代は、恵まれて幸せなのかもしれない。高齢者の生きるうえでの不自由さというのは、そしてほとんどの若者は、考えもしないものだ。この前話した老人は、60歳からは、日本人は幽霊とも戦わないといけないとか言ってたなそういえば。日本の老人って…ほんとにどんな境涯で生きてるのだか。おみそれするというか、言い過ぎでもなんでもなく、神様とか鬼神とかそんな言葉がぴったりなのが、高齢者だといつも思う。