あなたのような人を信じたい
昨年末。
都内のどこかの駅で、電車の乗り換えるためにホームを歩いていた時のことでした。
ものすごい勢いで、ちょっと小太りのオジサンが(わたしもオジサンですが)、ものすごい勢いで私の横を走り抜けていきました。
「落としましたよー!!」
事態を一瞬呑み込めませんでしたが、どうやら少し手前にいる女性が落とした携帯電話を拾い、なんとか手渡そうと走っていたようです。しかし、その女性の方も急いでいたのか、小走りでホームを走っています。電車の発車アナウンスが流れ、おそらくその電車に乗りたかったのであろうオジサンは焦ったのか、前を走る女性に追いつくために、さらにスピードを上げて走っていきました。
果たして。
オジサンは白いコートを着た若い女性に追いつくと、さっと携帯電話を手渡し、電車に飛び乗りました。
どんな人かな。
興味を持った私は、オジサンの乗った車両まで移動をしてみました。
年の頃は40代後半から50代前半くらい、ちょうど私と同い年くらいに見えますが、髪はボサボサ、お腹ポッコリの小太り、よれよれの安そうなスーツに、靴底が少しはがれかかったような革靴。一言で言えば、まあ貧相な感じのおっさんです。
わたしは、こういういで立ちで平気でいる人が、あまり好きではありません。
もっというのであれば、何度かここでも書いたことがありますが、私は人間は見た目で評価するものだと思っています。その人の人間性は、服装だけではなく、立ち振る舞いや表情に如実に表れます。ですから、そのオッサンも、おそらくそういういで立ちに相応しいメンタリティの持ち主のはずです。
しかし、人間は見た目で評価するものではありますが、それが評価の全てではありません。駅のホームで、他人の落としものを手渡すために、あれだけのダッシュが出来る人がどれだけいるでしょうか。
人に対する好き嫌いという感情と、信用できるか否か、仕事ぶりへの評価ができるか否か、そういう判断は、重なりつつも、また別のものです。
そして、一事が万事というのも真理ではあると思いますが、しかしある一瞬を切り取っただけの点としての評価では、全体を見渡した線としての評価も出来かねることもある。彼のボサボサの髪も、あれだけ走ってればそりゃ乱れるだろうということかもしれません。靴底のつま先が少し剥がれてしまっているのも、あの走りのせいなのかもしれません。
わたしは、彼のことを好きになることはないかもしれませんが、きっと共に仕事をすることがあれば、十分に信用をして手を取り合ったかもしれません。
彼のダッシュは、携帯を拾ってもらえた女性だけではなく、それを見ていた私をも、少しだけいい気分にしてくれました。世の中を良くするというのは大げさなことではなく、塵のように小さなこういうことの無数の積み重ねの先にしかあり得ない、そう思います。
電車内で、今度は自分の携帯電話を手にする彼を横目で見ながら、わたしは心の中で、小さく「イイね!」を押してみました。
ではでは。
もえーん
2025/01/04 19:34:48
> シフォンさん
ありがとう
シフォン
2025/01/04 19:24:22
*^^*私も”いいね”
もえーん
2025/01/04 18:52:04
> はみさん
何もできないと、出来るの境目は、けっこう「余計なことを考えない」だけだったりするかなと思います。
どうしても考えちゃう人も、ナチュラルボーン考えない人もいるので、そのハードルは人によるとは思います。でも、別に大したことやってないんですから。
落し物拾ってあげた。
カバンの口が開いているのを教えてあげた。
コートにクリーニングのタグが付きっぱなしなのを教えてあげた。
何かがわからずウロウロしている婆さんに声かけてみた。
道の真ん中でのたうっているミミズを、落ち葉ですくって植え込みに戻してあげた。
どうだっていいような些細な事。だったら、余計なことを考える方が体力と時間の無駄じゃないかな、と思います。そもそも、やるやらないに関わらず、相手を気にしてあげてしまう気持ちがあるのなら、それをそのまま放置する気持ち悪さのほうが、よっぽど嫌じゃないですか。
私がだれかを助けるとしたら、その理由のけっこうな割合って、やらなかっとことの気持ち悪さを残したくないから。きわめて利己的に利他的なんですよ。でも、それでいいでしょ。無条件に利他的なんて、いらないと思います。
はみ
2025/01/04 18:00:21
そのオジサン、私だ!!!(つω`*)テヘ☆
頭の中に天使と悪魔がいるんだよいつも。
『拾ってあげる?』『いやでも他人に触られるの嫌がる人もいるよね』
最終的に面倒という言い訳で何もしない方が多い。
助けられたこと沢山あるのに恩返しも出来ないわ~ルルルルー(溜息