お盆は悲しい。
お盆のために
いつもより早く首都圏に出てきました。
仏壇は両親が暮らしていた首都圏の家にありますし、
私もこの家で両親と語り合いたいと思うからです。
首都圏の家に到着した後、
ちょっと掃除機をかけて、
盆棚を設え、盆灯籠を組み立てて、
位牌を移して、灯明とお線香をあげます。
そして、今日の私の夕食を
少し両親にも取り分けて、
一緒に食べた気分になります。
生きていた時にもっといろいろと
世話を焼いてあげればよかったのに、
生きている間はそれがむずかしかった。
悲しいものです。
仕方なかったのでしょうか。
でも、そう思っていないから、
こうして罪滅ぼしのように、
お盆を迎えているのです。
鳩羽
2025/07/25 21:49:07
こんばんは。
あの時の自分の精一杯だったとしても、
お盆になると、あの時の自分がもっと
成熟していれば…と思います。
多分自分がこの世を去るまで、多かれ
少なかれ抱えていくのではないでしょうか。
安寿
2025/07/15 13:26:00
>うとうとさん
うとうとさんもそうですか。
生きていくということは、
業を深めていくことなんでしょうか。
うとうと
2025/07/14 19:38:25
悲しみと自らの至らなさはいつもは心の奥底に沈んでいるのですが、
盆提灯を見るとまた浮かんできます。