マイルスはなぜ、63年にトレーンを観に行ったか
- 2009/09/28 21:46:19
完全な私的考察。
ご存じマイルスとトレーンの最後の演奏は1960年だね。
王子様のあとのヨーロッパ公演あたりが最後かな
その頃の演奏、モード解釈が完全にずれてきてるね
http://www.youtube.com/watch?v=P4TbrgIdm0E&feature=related
この時の演奏を聴くと、トレーンはマイルスバンドの制限から今一歩先に進めず、マイルスは、はみ出ようとするトレーンの演奏をクールを装って受け止めてるけど、冷や汗もんでしょw
この当時のトレーンはバンドを抜けたくて、いつもぼやいていたらしい。
マイルスは、当時でたった一つ面白くないのは、コルトレーンのぼやきだったと語っている。
そして、念願叶えてマイルスから去ったトレーンは、かねてから狙いをつけていたエルビンとマッコイとすぐに録音した。
この最初のセッション(4枚のアルバムになっている)を聴くと、いかにトレーンが先に進んでいたかわかる。
マイルスからもらったソプラノを吹いたアルバムや、夜千にBut not for meにブルースの新解釈すべてが画期的だと思う。
そして、その翌年61年のバンガードライブの凄まじい演奏(サン・ラのギルモアの演奏を元にしている)を聴いて、マイルスは、間違いなく焦りまくったはずだ。
その脅威のトレーンは、なんと62年にバラッドをつくり、ハートマンや、音楽の父エリントンとオーソドックスなアルバムを創った。
これは、トレーンにとっては創るつもりではなかった不可抗力のアルバムなんですけど、それ故に、マイルスは?????思ったはずなんだ。
彼に言わせりゃ「あいつは何をしてーんだ、ガッデーム」みたいな感じだね。
そんな訳のわからないトレーンの真実を知るために63年のバードランドに、マイルスは自らトレーンを観に行ったのであった。
・・悔しいけど観に行かずにはいられなかったはずw
そしてトレーンの演奏する、I want to talk about youをマイルスは聴いたんだ。
さて、どう思ったんだろうか!?
>60年代のマイルスの演奏には、常に焦りがあると思いませんか?
わかりますwwww
焦りというか、この時期はご存知のように、モードJAZZやら、フリーやら ロックやら
毎回発表されるアルバムごとに、猫の目のようにスタイルが変貌して 明らかに
コルトレーンに対する対抗意識のようなものが、表れてますね。
じゅんた先輩は、自分みたいに体感で「面白い」「聴いてて気持ちいい」を超越して、
演奏者の内面的な部分まで聴き取ろういう ある意味「哲学的」とも言える聴き方を
されていて凄いですね。
コメありがとう、マイルスとコルトレーンの最後の共演あたりの頃に目立つのは、モードの解釈をカインドオブブルーから先に進めたいトレーンだな。
それにはマイルスのバンドでは駄目だったんだよね、
そして溢れる自分のアイディアの実現のために(人のアイディアも含む)抜けたんですw
たぶん、マイルスはコルトレーンがどこに行きたかったわからなかったんです。
60年代のマイルスの演奏には、常に焦りがあると思いませんか?
この時に時代のリーダーでなかった彼は、おかげで息の長いプレイヤーになれたんだよw
自分の知る限りでは、当時無名だったトレーンを見出したのは、マイルスです。
最初の頃彼のセッションに入れた時は 他のメンバーに「」あんな下手くそ首にしろ!」と言われたとか、、、
彼の才能を、昇華させて一流にしたのもマイルス。
あげくの果てに、マイルスに反感をもって辞めていったのも事実なんでしょうね、、、
ただマイスルという人は、外観や言葉使いからは、知りえないとても懐の深い方だったのは
間違いの無いところでしょう。
だから 自分の所見ですが、、、「あの野郎俺が一生懸命育ててやったのに 何故去っていったんだ!」ってな
気持ちで聴きにいったんじゃないでしょうか???