恋愛論(その1)
- 2025/12/04 08:44:59
例えばこういうお話しを聞く。
「それまで意識してなかったけど、ひょっとしてこれって『恋』??」
って思う瞬間があって、そこから好きになって行ってしまう‥という展開だ。
私は常々‥てゆうか、ずっとこの説に疑問があった。
なぜって、いろいろ日常生活、社会生活してると単純に「好き」と言う気持ちが
生じてくる機会なんて山ほどあるからだ。皆さんはどうでしょう?
私なんかは、上司でも、同僚でも、お付き合いのある業者さんでも、出入りの人達でも
「あ、この人いい人」って思う瞬間なんてしょっちゅうある。異性でも同性でも
出会って、少しお話しして、気持ちよくお付き合いが出来たり、親切さを感じたり
共感できる事柄があったり、尊敬したりしたときに「この人好きな人だ」って思うこと
なんてそれこそ、この人嫌い!って思うことよりずっと多いと思う。
だから、今までそうじゃなかったけどだんだん好きになり『恋』に発展していった。
なんてお話を耳にすると、「?」となってしまう。
なぜって?私には「好き」になるくらいの人なら文字通り星の数ほど(比喩w)いるからだ。
それを『恋』というのなら、私はどれほど恋多き人なのか?無節操も甚だしい。ってことになる。
結論。これは『恋』じゃない、「好き」っていうことだ。
英語表記で「like」と「love」を使い分けて語る人がいるけど、これは日本語のニュアンスを
間違ってあてはめてるだけで、英語圏の「love」は親子だろうとペットだろうと無生物や郷土
だろうとすべて「love」なのだ。「like」を代わりに持ってきても程度か?それ以上の違いはない。
ここは、むしろ日本語の「愛」と「恋」という文字を使って論じた方が分かりやすいと思う。
忌憚なく言ってしまうと「男女」に象徴される「性差」を含んだエッセンスが入るかどうか?
によって、この言葉の明確な定義づけが出来ると私は思う。(異論は認めますw)
つまり、単純に「好き」というのは多くの事象にあてはまるので広義の「love」日本語で言えば
「愛」。そこに性的な感情(本能・衝動)がオーバーラップすると狭義の「love」日本語で言えば
「恋」という定義づけが出来ると思う。なので、じつは日本語のほうが議論しやすい言語なのだ。
もちろん、比喩的に使って思いを表現するときに用いることも多いので、実際を必ずしも表すわけ
ではないので?そのへんはご理解いただきたく♪
例)母親が「私はこの子を愛してる!」「私はこの子に恋してる!」では後者の方がより深い愛情を
伝えたがってるとお感じにならないでしょうか?
一般論にもどして、「恋」というのは性差のある者同士の間でしか成立しない。(面倒くさいので
一応書きますけどLGBTは不問です。生物学的にどうであれ、感情が生じる間柄と思ってください)
そして、これは私の持論ですけれど、『恋』は一瞬!で決まります。てゆーか決まっていくのです。
つづきます♪
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